先月、隅田川の花火大会を生まれて初めて生で見ました。
例年だと7月ですので、大作の制作に追われて見る間もなく終わってしまっていました。
しかし、本年は1ヶ月遅れでの開催とあって、ちょうど締め切りが終わったタイミングと重なり、見る機会を得ました。
今年は震災の影響もあり、あちらこちらの花火大会が中止になったのもあってか、隅田川の人出はハンパなかったです。
・・・満員電車のように人で埋め尽くされた道、車も通行止め、道には人が陣取りしてブルーシートを敷いて寝転がってみている・・・人の波をかわして自転車で浅草まで行きました。
むしろ自転車で行かなければ辿り着かなかったかもしれません。
浅草には伯母が住んでおり、第一会場のすぐ目と鼻の先。伯母の自宅屋上からの眺めはスカイツリーと花火を同時に見れるというまさにプライベート絶景ポイントでした。
花火大会とあればお祭り気分のように感じますが、お祭りというものはいつの頃も鎮魂や祈り、奉納や神仏への御礼といった意味合いが含まれているものです。
その本来の意味が薄らいで、華やかな見た目と高揚した気分だけが浮き彫りになってしまい、お祭り気分=うかれ気分 というようになってしまったように思います。
美しくもはかない花火。
鎮魂と祈りの奉納。
華やかさに照らされて寂しさが際立つように、胸にその思いを刻む気持ちで今年の花火をしみじみと眺めました。